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大阪高等裁判所 昭和25年(ラ)98号 決定

抗告人 松田次郎

右代理人弁護士 池口太郎

坂井宗十郎

相手方 南川幸子

右代理人弁護士 金子新一

主文

原審判を取消す。

相手方の本件請求を棄却する。

本件請求及び抗告費用は全部相手方の負担とする。

理由

本件抗告の理由は、別紙抗告状及び上申書に記載のとおりであつて、要するに本件当事者間には、協議離婚をするに際し、財産の分与について協議が調つたのであるから、相手方は協議に代る処分を請求することはできないというにある。

よつて、考えてみるに、記録中の戸籍謄本(六丁)当審における相手方本人尋問の結果により相手方が作成したと認められる乙第一号証(絶縁状)、同第二号証(受取書)、同第三号証(請約書)並に原審証人村林正直、原審及び当審証人大石義忠の各証言但し、当審証人大石の証言についてはその一部、当審における抗告人本人尋問の結果によると、抗告人と相手方とは昭和六年三月一三日婚姻したものであるが、昭和二二年一一月頃離婚話が進み相手方から、財産の分与として五、六〇万円の支払を要求し抗告人はこれに応じなかつたが、大石義忠及び村林正直が両者の間に入り交渉した結果、抗告人から相手方に三〇万円を支払うことで一応の話合いがついた。ところが、偶々抗告人が相手方の弟から買つた毛布が進駐軍物資の盗難品であることが判明したため抗告人は犯罪の嫌疑を受け検挙されるに至つた。そこで抗告人は右検挙されたため損害を受けたと言つて右三〇万円の減額を要求したところ相手方は容易に応じなかつたが、右大石等の説得により同年一二月二日相手方も右三〇万円を一〇万円に減額することを承諾し、ここに抗告人は財産の分与として相手方に一〇万円を奈良県○○○○所在の家屋を売却した上支払うことで協議が調い、相手方は抗告人に乙第一号証乃至第四号証の書面を差入れたことを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。

相手方は本件請求の理由として右承諾は抗告人の強迫による意思表示であると主張しているがこの点に関する当審証人大石義忠の証言及び原審における相手方(本件審判申立人)本人尋問の結果は信用できない。もつとも原審証人村林正直の証言によると前記の離婚話がでて後三〇万円で一応の話合ができるまでに抗告人において相手方に荒々しい言動に出たらとを窺い知ることができ、また原審証人大石義忠の証言によると右乙号各証を作成しなければ協議がまとまりにくい事情であつたことを認めることができるが右一〇万円で協議が調つたことが抗告人の強迫によると認めるに足る証拠はなく、却つて、前示乙第二号証、同第三号証及び田山重雄が作成したと認められる乙第六号証(報告書)、原審証人村林正直、原審及び当審証人大石義忠の各証言(但、証人大石については前記措信しない部分を除く)、当審における抗告人本人及び相手方本人の各尋問の結果によると、相手方は離婚前既に相当多量の衣類、家具類等を○○の実家及び隣家の杉浦某方、並に大石義忠方等に、抗告人に無断で持運んで隠匿し、同年一一月二九日頃には抗告人所有の○○人絹パルプ株二〇〇株を抗告人に無断で売却処分している事実及び離婚後直に右大石方に赴き、間もなく家屋を買い大石と同居して飲食店を開業している事実を認めることができ、本件記録によると相手方は離婚後一年余を経過してから財産分与の調停を申立てていること明らかで、右の各事実を合せ考えると相手方は右離婚当時においては抗告人との身分上及び財産上の関係について速に全部を解決するのが得策と考えていたので前記のように一〇万円で協議を成立せしめたことを推認するに難くない。

そうすると、本件当時者間には既に離婚による財産の分与について協議が調つているのであるから相手方は家庭裁判所に対し協議に代る処分を請求することはできない。したがつて相手方の本件請求は失当で却下を免れない。よつて相手方の本件請求を認めた原審判は不当であるから家事審判規則第一九条第二項家事審判法第七条非訴事件手続法第二八条を適用し主文のとおり決定する。

抗告状

大阪市○○区○○通○丁目○番地

抗告人 松田次郎

財産分与請求事件の大阪家庭裁判所の審判に対する即時抗告

右抗告人松田次郎は申立人南川幸子相手方抗告人間の大阪家庭裁判所昭和二十四年(家)第二二二八号財産分与請求事件に付昭和二十五年十一月二十四日同裁判所に於て為されたる審判を同年十二月一日其送達を受けたるも全部不服に付抗告すること左の如し。

審判の表示

主文

相手方に対し申立人に金二十万円を支払うことを命ずる。

手続費用は相手方の負担とする。

抗告の趣旨

原審判を取消す。

申立人の請求を棄却す。

手続費用は申立人の負担とす。

との御裁判を求めます。

理由

第一 本件は当事者間に協議離婚をなすに当り財産分与に付当事者間に協議相調い、抗告人は申立人に対し現金十万円及衣類、寝具、家具、道具類及申立人が○○市に居住する申立人の実家に申立人居住地たりし○○○○或は抗告人の自宅より運び去られたる高級衣料の多数其他の物品を含めて分与し、支障なく円満に解決を見たるものであります。証人大石義忠松田恵子小川三次の各証言によつて明かであります。

然るに原審判は「一旦金三十万円を相手方から申立人に分与することに協議ができたか」云々「相手方は申立人に対しこれを口実として十万円に減額の申出をなし」云々「申立人はやむなく乙第一乃至四号証を差入れ一応十万円を受領することになつたに過ぎないのであり、その余の分与請求権を放棄する旨の明確な意思の合致はなかつた」云々となし、抗告人に対し財産分与を金二十万円として之れが支払を命ずるとなされた事は事実の認定を誤り、且つ違法のものであると信じます。抑々協議若しくは調停の成立の経過の道程に於ては幾多の段階を経て種々なる事情を参酌せられ、成立の域に達するものなることは其性質上当然の事でありまして、本件に於ても其協議の経路においては或は三十万円の希望的要求ありたるならんと、協議は結局十万円及其他の物品を分与する事に協議調いたるものであります。其他の物品の中にはダイヤ入指輪、ダイヤ入帯〆、金作り三味線等を含むものであります。而して申立人は乙第一乃至四号証を作成したものであります。然も協議調いたるものに然らずとせば社会通念若しくは良識を以ては解するに苦しむものであります。

民法七六八条の財産分与について当事者間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときではないのでありまして、既に分与の協議相調い其履行も当時既に結了せるものであります。

抗告人は本件分与の請求は理由ないものと信じます。

第二 申立人の本訴請求は不純であります。

本件は前述の如く当事者間に分与の協議相調い履行完了したるに拘らず、約一ヶ年を経過したる後に於て申立人は不良の徒等(乙第五号証)に誘引せられ、更らに財産分与を要求しこれをなさざれば申立人の知悉する抗告人の脱税の事実を税務署に密告すべしと脅迫行為に出て抗告人の畏怖に乗じて既に解決済のものを蒸し返さんとしたるもの即ち本件であります。

第三 本件離婚は申立人の年来の希望乃至計画によるものであります。

申立人は奈良県○○町の芸妓置屋の養女として芸妓稼業をなし居り後女給でもありましたが、抗告人の所望により何一物持たずに昭和五年三月事実上同棲したものであります。当時抗告人は抗告人の父松助在世なりし為め○○区○通○丁目に別居し居たるも、同年七月父松助死亡したるを以て其家督を相続して家に帰り、後翌昭和六年三月婚姻届をなしたるものであります。

而して抗告人は銅滓業(青銅鋳造業)の家に育ち銅滓の買入其選別等の労働を主とする職業でありますが、申立人は之れと異り遊芸女芸を好み泥土にまみれた汚職を嫌い常時所謂古事観劇会合を中心に生活し、殆ど家事を顧みる余裕なかつた状態なりし処、抗告人は申立人の希望により戦時中昭和十七年頃より奈良○○○○に家を買求め申立人及抗告人の母を其家に居住せしめ抗告人は工場にありて弟等を督励して泥土にまみれて銅滓の買集めに奔走し居たるに、遂に昭和二十年三月十三日戦災により工場は焼失したのであります。

然るに申立人は家業に何等協力なさざるのみか○○○○在住中昭和十八、九年頃○○○○郵便局長野中氏及平井氏を通じ二回に亘り離婚を要望し来り、抗告人は之れを拒否したるも其間申立人は岡山市在住の実母度々来り目ぼしき物は実母の下に送る等申立人の抗告人に対するや実に冷淡なりし事想像に余りありと信じます。申立人は工場戦災の通知に対し単に焼跡を見に来りたるのみにて即日直ちに○○○○に帰りたる次第で、申立人の所為は妻とは名のみの状態でありました。

抗告人が其後昭和二十一年春頃より佐伯ふさ子と関係をしたのも申立人の家をかえりみず夫たる抗告人を卑む右様冷酷なる態度心事より生じたる已むを得ざる結果として、申立人の離婚の意思は既に抗告人とふさ子との関係発生以前にあつたので、ふさ子との関係と申立人の離婚とは何等の因果関係ないものであります。単に口実に過ぎないのでありまして、寧ろ抗告人とふさ子との関係は申立人によつて誘発せられたものであります。

それでも抗告人は申立人との離婚の意思を有せず美子を離別して其分娩する所の子を引取り夫妻の子として養育し夫婦関係打開の一筋とも考え居たるも、申立人と大石義忠との関係の普通ならざる不貞行為を知るに至り遂に意を決して離婚を承諾するに至りたるものであります。

如上申立人は抗告人の生活及事業に協力し財産の増殖に資したる点は些かもなく、却つて自己の欲望の満足と意の向く所に熱中していたものであります。

第四 本件審判は抗告人の家督相続の事実を無視するものであります。

抗告人は亡父松助の長男として生れ、先代松助は数十年来青銅鋳造業(銅滓業)者として知られ、抗告人現住所に於て木造瓦葺平家建工場及住宅六十七坪四合余を所有経営し、それに相当する設備と流動資金を以て盛大に営業し居たるものにして、抗告人は申立人と同棲当時は前述の如く父と別居し父の工場に通勤し居たるものなる処、数ヶ月後の昭和五年七月父死亡し抗告人は其家督を相続したるものであります。右工場は戦災によつて焼失したるものとして其焼跡に現工場住家を疎開家屋の古材拾い集めたる古材を以て板葺バラック式工場を建築したるものであります。

然るに申立人は結婚当時金五百円の預金ありしに過ぎず云々となし、右抗告人の相続の事実を無視したるのみならず、又審判に於ても此相続財産を六、七坪の木造瓦葺平家建の工場と粉砕機三、四台の外見るべき財産もなかつたが云々となし、六、七坪とは六十七坪を云うものなるや六坪か七坪かを指すや不明なるも相続の事実を過少評価し、抗告人に財産の増殖ありたる如くなるも抗告人は決して財産の増殖をなしたるものに非らず、現在に於ては却つて相続財産を亡失したものであります。尤も一時は戦争末期に買集めた銅滓が終戦によつて未納入分として残つたもの、インフレによる価格上昇したるも右利益金はサッカリン製造に出資したる結果、村林、大石及申立人等の不信行為により及其後の不況により全部消失したものであります。抗告人に強いて財産の増殖ありたりとせばそれは申立人と離婚に際し申立人に分与したるダイヤ入指輪、帯〆、金作り三味線、高価なる茶道具、生花用品等のしやし品にして右は全部申立人に分与済のものなりとす。

第五 申立人及抗告人の現況

申立人は現に○○区○○○○町○丁目○○○番地に於て金二十四万円を以て家屋を買求め、○○○スタンドを経営し大石義忠と同棲し居るものにして、松田恵子の証言によるも申立人の実弟南川政一の要求により金二十万円借入の為め必要なる株券の貸与をなす等実に裕福なる生活をなし居るに反し、抗告人は其後引続く財界不況にかかる事業不況の為め生活に窮する実情にある事は○○銀行、○○銀行より提出の銀行取引の出入状況及其帳尻を一見せば小企業の行詰の実情を如実に披歴せるものにして説明の要なかるべしと思います。

申立人は其第二準備書面に於て税金滞納による差押処分の甘受は本件財産分与拒否の手段に過ぎずとなされている事はけん強附会も甚だしき観方にして、本件の為め其経営する事業の壊滅を計るの愚をなすものあらんやであります。

第六 抗告人は前記の如く本件は既に離婚に際し申立人との間に財産分与に付協議調い、其履行を完了したるものを更らに事実をねつ造して之れを所謂事件として審判の申立をなすことは信義誠実の原則に反すのみならず不法のものなりと信じ茲に抗告を致します。

証拠方法

一、原審に提出したる乙第一号証乃至第七号証を引用し更らに必要に応じ提出します。

添付書類

一、委任状 一通

右抗告致します。

昭和二十五年十二月十四日

右抗告代理人 池口太郎

大阪高等裁判所 御中

上申書

抗告人 松田次郎

相手方 南川幸子

昭和二十五年(ラ)第九八号

家事審判に対する抗告事件

右事件について左の通り陳述致します。

一、原審の審判理由によると相手方は抗告人の事業に忠実に協力し、その結果その協力を与つて抗告人が巨万の富を蓄積したものである処、抗告人との離婚に際しては相手方は金拾万円也と衣類等を贈与せられたものであつて、爾余の相手方の財産分与請求権を抛棄したものでないと認定せられているものである。而してその認定をせられるに至つたのは証人村林並に大石の証言を援用せられて居るのであるが、両証人の調書を調査して見ると却つて同人等の証言は孰れも既に相手方が財産分与請求権を抛棄したことを陳述して居る様に解せられる。

のみならず本上申書を以て申上げ度いことは原審当時は判らなかつたのであるが、抗告人が抗告人方を搜索した処別紙写添付の乙第八号証の一乃至十の様な株券を発見したものである。同株券の裏書に依ると孰れも相手方が同株式の取得者となつて居るものである(同株券に松田千鶴子と記載しあるは相手方の事である)。そこで抗告人は当時抗告人方に出入をして居つた所謂株屋の外交員である田山重雄に就いて事実を訊ねた処、更に乙第九号証の様な事実が判明したのであります。之れ等の事実関係は前回審訊期日に於て陳述した様に、相手方は抗告人との婚姻中御茶、生花、三味線の師匠の免許状を取つて居る上に離婚前に抗告人の隣家である杉浦方に抗告人には内密にして抗告人方の生活物資等を大八車に一台半位を隠匿した処、それが発覚して同物件は全部抗告人方に返還せられた事実と共に当審に於て現われて来たものであります(尤も相手方は此の荷物は相手方が自分で購入したと陳述して居つたのであるけれ共、相手方が抗告人に内緒で内職でもしたと言うのなら別として右の様な多量な当時としては多額な物資を買う資力が相手方にある筈がないと考えられるものである)。

以上の様な事情であるから原審に於ては現われていなかつた新しい事実が発見せられて来たものであつて、これ等の事実関係に付いて今一度当事者間双方本人及び乙第六号証の作成者である田山重雄を審訊賜わります様上申に及びました。

昭和二十七年二月十六日

右抗告代理人弁護士 池口太郎

同弁護士 坂井宗十郎

大阪高等裁判所第二民事部御中

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